野辺地町の楽しみ方
野辺地町をめぐるおすすめコース
野辺地町観光物産PRセンター
旅のスタートは野辺地町観光物産PRセンターから、9:00頃出発。
野辺地町立歴史民俗資料館 (滞在時間40分)
野辺地町は江戸時代、交易、貿易の中心地でした。あらゆる文化の交流地だったのでここだけで見ることのできる、おもしろい歴史がたくさん!貿易の中心だった北前船ゆかりの貴重なものが色々残されているよ。
さらに野辺地町には古墳時代から集落があり、その遺跡から出土した二本足で自立する「板状立脚土偶」や、「赤漆塗木鉢」も必見! どちらも国指定重要文化財になっています。野辺地の歴史を楽しく学ぼう
あぐりハウスすずな (滞在時間15分)
寄り道
資料館のすぐ近くには、地元産の新鮮な野菜や野辺地特産の葉つきこかぶが買えるお店があるよ。
新鮮な野菜はすぐになくなってしまうので朝のうちがお買い物時!
そのままクール便で送ることもできるので、たくさん買ったら発送しちゃおう。
実は珍しい野菜もたくさん!
常夜燈公園 (滞在時間20分)
夜間に北前船が安全に港へ入ることができるよう目印として使われていた常夜燈。
なんと江戸時代に実際に使っていたものがそのままこの常夜燈公園に残されており、現存するなかでは最古クラスのとても珍しい常夜燈が陸奥湾を背に見られるよ。
当時の北前船が復元された大きな復元型弁財船みちのく丸も隣に。かつて貿易の地だった歴史が潮風とともに感じられるね。
戦死者の墓 (滞在時間15分)
1868年(明治元年)、幕府軍を支持する盛岡藩・八戸藩の南部軍と、新政府軍を指示した弘前藩・黒石藩の津軽軍が野辺地で交戦し、津軽軍は29名、南部軍は6名の兵士が戦死しました。墓石の4基には、戦死した津軽軍兵士27名の名前が刻まれています。
戦死者の墓はこちら藩境塚 (滞在時間30分)
江戸時代には南部領と津軽領がこの場所で分かれていました。 目印として旧奥州街道沿いに築かれたのが、通称「四ツ森」と呼ばれる南部・津軽それどれ2基ずつある直径およそ10m、高さ3.5mほどの土盛りの塚です。 番所が設けられ、ここを通る時は米や綿など物資の出入りを取り締まっていました!
藩境塚はこちらファミリー食堂 (滞在時間60分)
ランチタイム
野辺地町に来たならこれ! 野辺地でしか食べられないよ。 ケツメイ茶が練り込まれた特製麺に潮かおる北前ラーメンや、ぷりぷりホタテ定食を堪能しよう。
ファミリー食堂はこちら迷っちゃう!まだまだ野辺地には名店がたくさん
食事処の店舗はこちら野辺地八幡宮 (滞在時間20分)
港町として栄えていた野辺地町をずっと見守ってきた、海上安全の神である野辺地町の金比羅様(こんぴらさま)。 八幡宮本殿の横に海の方向を向いて建つ金刀比羅宮は野辺地の廻船問屋(かいせんとんや)によって1822年(文政5年)に勧請寄進(かんじょうきしん)され、当時の宮大工たちのあらゆる技術を盛り込んだ、細かくすぐれた彫刻に注目!
野辺地八幡宮はこちら一息ポイント (滞在時間10分)
新町を通って行在所へ向かおう。 実はお菓子屋さんが多い野辺地町。 途中にはかわいいおかしが売っているお店があるよ。 食べ歩きおやつにおひとついかが?
(有)大湊製菓はこちら旧野村家住宅離れ「行在所」(国登録有形文化財・建造物)(滞在時間30分)
現在の野辺地町役場敷地内にある行在所は、野村治三郎の別邸。
1876年(明治9年)に明治天皇が巡幸された時に、この別邸に御宿泊されました。
明治天皇もご覧になられた美しい庭園は、数寄屋風建物と一体化し和風近代建築の指標となる貴重な存在です。
床の間と脇床や精巧な彫刻が施された欄間など格式のある意匠にも注目。
愛宕公園(滞在時間50分)
町の高台に位置する愛宕公園。明治期から、町民憩いの公園として親しまれてきました。
展望台からは陸奥湾から町へ広がる大パノラマを一望できます。
春には樹齢300年超えの・本州最北のエドヒガンや約700本の桜の景勝地として知られ、石川啄木の歌碑や、松尾芭蕉、中市絶壁の句碑があり、文学散歩も楽しめるよ。
野辺地町観光物産PRセンター
お疲れ様でした! かつて商港として栄えた歴史や文化が色濃く残る野辺地町をぐるっと満喫。
いかがでしたか?
→買い逃したお土産もまだ大丈夫。
PRセンターには野辺地ならではのお土産が勢ぞろい やっぱり野辺地にきたらケツメイ茶!? つるっと香ばしいケツメイ茶うどんや蕎麦もおすすめですよ。